震災から一月経ちました。
なんとはなくですが、単に節電しているというだけでなく
震災前とは違う雰囲気を感じています。
自分の話ですが、もともとあんまり見てもなかったのですけど
テレビはホント見なくなりましたね。
暗い夜も、「かえって夜らしくていいな」と思います。
巷では
原発事故の責任問題や原発是非について
議論がされています。
わりと大きく熱意のある反対デモもあったりして、
クールな日本人が熱くなる様子を見させてもらいました。
でも、なんだか引っかかるんだよな。。。
オイラは原発反対論者であります。
こんな怖いものは無くなるほうがいい。
しかし、イマスグ無くなるというのはどうなんだろ?
これまでそれで電気を賄ってきた一面も
無視できないのではないでしょうか?
ある意味では、東京に暮らすオイラは原発に感謝しなければならない。
そう思える部分もあります。
もっとも感謝は東電に向けてではなく、
原発を置いてくれた地区の皆皆様への感謝が第一義ですけれども。
電気のおかげで文明生活を享受してきたその陰には、
原発を支えた地域の皆さまの犠牲があるということを考える。
その方々が今まさに困難な状況に置かれている。
その現実を前にして、原発反対のデモ行進を行う群衆をみて
「そのエネルギーをあまさず、
支援に向かわせてもらうことって出来ないかな」
と、うがった見方をしたりもしています。
端的にいえば、
デモ会場に集まるために電車賃つかって
電車に乗ってきている人が多いわけでしょう。
その電車賃を支援したらいくらになるよ?
とも思うんだよね。
ひねてるかな?
彼らいわく「石原反対。原発反対。」でした。
気持ちはわかるのですが、
今注目すべきことは石原都知事なのかな?
石原さんが辞めれば原発をなくすんだろうか?
東電はそんな道理で動きはしない。
原発に代わる収益モデルが出来ない限り、
・・・難しいのではないかな。。。
ま、石原さんが継続することになりましたけどね。
「被災地のみなさんには、求められれば何でもする。
東京は貧乏になったっていいじゃなか」
と言っていましたが、
それを信じて、厳しく注目し、
出来る協力はしていきたいと思いますね。
ずれましたけど、
今日、この時に声をあげるテーマとして
「反原発」
が優先ではない気がする。
今すべきことは
「被害を受けられた方々をお助けする」
そのテーマひとつだと思います。
全部そこに注ぐべき。
もう一度いいますと、
オイラも原発は反対です。
デモ批判しているわけではない。
ただ、その前にすべきことがあると思う。
ということが言いたかった。。。
あと思うのが、今後について。
これまでと同じ文明生活を送れなくなる可能性がある。
それを「よし」とする覚悟をもたないといけないと思います。
ひいては、
「幸福のあり方」
それを考える必要があるのではないかな。
「原発が無くても電気は賄える」という意見も目にします。
でも、それってホント?
今、大切なのは
真実。
それに基づいた対策検討。
そしてその実行。
だと思います。
観念的な必要・不必要の議論ではなく、
これまでの生活環境の中から、
続けるべきもの・諦めるものを線引きして、
「なくたって満足できる」
そんな心が大切なのかなぁ、とモワッした感じで考えています。
そのために、無欲真摯で心のある強いこの国リーダーが欲しい。
見習える、見習いたくなる
カッコいい指導者。
子供たちが憧れる存在。
そんな総理大臣が欲しい。
被災地から避難してきた子供が
いじめられているという話を聞きます。
悲しく嘆かわしい。
怖いけどカッコいい大人がいないのではなかしら?
そんな状態をどうにかしようとしているとは
ちっとも思えない、
この国の総理大臣とその仲間たちにはがっかりです。
この人たちにお引き取り頂く議論を
原発是非の議論の前にしていこうよ。
もう一度いいますが
原発に反対です。
でも、その前に今の内閣には大反対。
総理を続けたいなら、
この国難対策をビシッと指導してくれよ。
ホントに。。。
あー、バカみてぇに大笑いしてぇなぁ・・・